麗の母親をピックアップできました。
毒島チームは麗の実家周辺へやってきました。その道中で雨が降り出しコンビニで物資の調達を行います。隣の服屋からは人数分のレインウェアを拝借して準備万端となりました。そしてようやく麗の母親と再会して新床第三小学校へ向かいます。近所の人へは声掛けをしましたが誰も小学校へ向かわないようです。なるほど外はゾンビだらけで孝たちも信用できないというわけです。客観的に見れば自衛隊の救出はワンチャンスなので小学校へ決死の覚悟で向かった方が良さそうです。しかし今まで自宅に籠城して生きながらえた者は食糧の続くかぎり動かないというのも理解できました。
今回私が気になったのはゾンビの呼称です。作中の登場人物たちはゾンビを奴らと読んでいます。しかしこれには私は反対です。奴らと言えば感染していない複数の人間のことも含んでしまいます。特にお互いに情報を共有している毒島チームが隠語として呼ぶのは自由ですが、一般人に奴らと言っても誰のことか何のことか分からないのです。このパニック状況で奴らというワードが感染者なのか非感染者なのかまぎらわしいのは致命的です。特に戦闘時などに後ろの者に奴らと言われて一瞬で正確に判断するのは難しいと思いました。そういう意味で奴らという呼称はリアルさに欠けると私は考えています。
我々の現実社会ではゾンビと言えば映画作品などで一般的知識を共有しています。老人でも子供でも恐ろし気なゾンビ作品ぐらい見かけたことはあるのです。ですからもし死者がうろついて人を襲う場合、ゾンビと呼称すれば簡単に説明できるのです。多くのゾンビ物作品ではこの一般的知識の無い世界が舞台になっています。つまり現実社会のようですがゾンビ知識のみ欠落した世界が舞台になっているのです。それは私はおかしな事だと思いますが人類が予備知識無くゾンビに遭遇した場合にどうなるのかを描く上では仕方がない設定です。ただこの作品では、たしか登場人物に一般的ゾンビ知識があったうえであえて奴らと呼称していると記憶しています。